Re: 第10回東京自由律俳句会お知らせ ( No.1 ) |
- 日時: 2012/11/09 18:46
- 名前: ゆ <yusoneda@yahoo.co.jp>
- 参照: http://soneda.or.tv
- 第十回東京自由律俳句会詠草集
1倚りかかる仮説がぐらり風の塔 2揚げ浸す瑠璃紺の秋舌鼓 3母のふくらみに眠る 4悲愴に鳴くコオロギ朝まで紡ぐ 5萩の白のあたりから秋の風来た 6熱燗で生まれた会話持ち帰る 7日記を先走り明日のことまで書いてしまう 8注射針が視つめているのは番外地 9蜘蛛の糸一本下りてきて目があいうえお 10台風も一日遅れでやってくる町 11祖母がひとり通った道である秋彼岸 12人は生まれるのを待たれ死を待たれる 13釈迦は説かない黒猫は死に 14色の無い夢ばかりみる後部座席 15獣らの骸あり紅葉 16秋晴れに背を向けている喪の日 17秋雲に見惚れよろり夫の手がある 18弱っとる猪のつぶらな目と合う 19指一本のピアノ2音たたいて星 20思い出が消えてゆく空の雲 21山越えてきた放射能まだまだきのこに潜んでた 22左腿に男の鼓動 23月へとどけ虫の声のツイッター 24結界もたやすく越えてどんぐりころころ 25軽トラ満杯にして新月を去る 26旅に身もこころも染みて舞う落ち葉 27空回りの記憶の万華鏡 28規則正しい機械のリズム メロディー口をつく 29家を出て今日も約束がない 30永遠の存在可能性についてビールをあおる 31私はご免だ「島」に命かけるなぞ 32わかりきったこと雀の喰いぶち残したコンバイン 33ラブユー今はあり得ない遠く去った夏雲 34ラジオ体操今日の始まり背筋しゃん 35ラーメンが食べたいんだあの娘の店覘く 36夕暮れの鐘帰る燕に駅がない 37ムッツリとしている夜のライトカー 38娘から貰ったスマホいじる女房がムスメでして 39眉をひいたか秋明菊高さに咲いて 40また来るよクラクション軽く遠花火 41ほろ苦甘く食べ秋夕日 42ぽっかり白い雲青空を一緒に 43君の眼の中で僕が笑ってる 44細腕力むパークゴルフ場蓼の花 45ホームレス自画像が破れていく 46飽和状態残り一滴の境界線 47「横断中」黄色い旗にとまるな赤トンボ 48ペンを置くと秋がすとんと坐っていた 49二人がけのベンチ風を隣りに 50種熟れぬヒマワリうつむいたまま 51無骨な背中こちら向きに変えて夕焼け 52ひんやりとしている夜の街灯だ 53ひとりで来た夜の自販機がまぶしい 54穭(ひつじ)田に風来て病めば甘える夫に寄りそう 55ばばの日でしょ料理本片手に孫娘来る 56母の小言は雨垂れと聞き流した青春 57白磁の皿に焼秋刀魚こそ旬 58のうぜんはどこにでも友達落ちても声する 59熱帯夜アイスノンとひとり寝 60波の音秋の陽に身を干す 61夏終り或終末感そっと 62とまり木いつ立ち去ってもいい背中ばかり 63ドブから鶏頭 64顔にチョコと魔法を掛け出勤 65どこまでも秋晴れ曼珠沙華咲き狂う 66通学児の声透る銀杏金の小粒 67ちょっと低い暖簾に慣れ今日は天ぷらそば 68大根が太るまつりの太鼓きいてから 69ターザンだった奴が黙って逝った 70通り過ぎる大型セダンから鬼の仮面が覗いている 71蝉が木から落ちるのをみてしまった 72スマホに遊ばれ若者ぶって夜 73ステップが狂う別れのラ・クンパルシータ 74酔芙蓉見過ごしていた別れ色 75水槽の金魚内村君の決めた宙返り 76新米二人分足りるだけ炊く 77蚊一匹の襲来安眠の破戒 78十五夜ムーンとなっとく金賞地酒 79静かな蜩丸太のベンチ尻に温い 80残暑埒もない世間話は避けて 81赤土剥き出しになっていたよ墓のあったところ 82このところトップニュースは冬眠近い熊のこと 83この涼しさ床にワックスを塗ろう 84子の心読めずそっと電話置く夜長 85こおろぎ静かになる夜のかけそば 86高原を埋め青空を指す鶏頭花 87紅蓮(ぐれん)のサルビアが行くロシアか中国か 88桐一葉背骨のスイッチバックせよ 89きっとあの星だ私だけに光る 90去りゆく群れの中を淋しく歩く 91風の僕ですあの日の迷子気付いてほしい 92かげろう その向うに何がある 93柿明り菊あかり道の駅に命ひしめく 94壺へ入りきらぬ骨の埋もれ火 95女の日傘がうらやましい、ぼくのかみ 96オニヤンマ・オスプレイのホバリング 97おいてけぼり喰わされた百日紅がいつまでも赤 98海に虹いで見えない虹 99医者にいく老父「酒はいいか」ばかりきいてくる 100おわんに落ちた顔をゆっくりまぜる 101現し世の白い芙蓉は浄土からの朝 102秋気冷冷ポストに落した言葉 103秋が近道でくる水の匂いの仏たち 104秋が駆け足で来たと南部風鈴騒ぐ 105捨てられた父の湯呑みの水たまり 106我が足に尿(いばり)する女児お前に言う事がある 107昨日はごめんね言い過ぎましたねこじゃらし 108石もて起つに大空無言 109剥がれ落ちた鱗一枚の痛み 110カマキリが飛んだ訳はきかないでおこう 111薄日さして皆コスモスと笑い合う 112ジリジリと浸食する平成の貧困 113珈琲の香りにジャズをくわえてみせる 114逢えてよかったよきっとキミも
投句誠に有り難うございました。今回も投句下さった全員の方に選句をお願いし、『第十回東京自由律俳句会・大賞』を選びますので宜しくお願い致します。なお大賞受賞者にはささやかですが賞品と記念品、第三位までの方には賞金を贈呈致します。 また現在アンケートを頂いた五十才以下の方を中心に、当会のブログの掲示板で活発なシンポジウムが開催されています。どうぞお立ち寄り頂きコメントをお願い致します。 http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/otaku/15711/1350398188/l50 (コントロールキーを押しながらクリックして下さい) 今後とも皆様のお力添えを頂けるよう宜しくお願い致します。 海紅社 中塚唯人拝
【選句要領】(左記様式をコピーしてメールにてお送り下さい) ◆選句 五句、そのうち特選句一句とその選評を簡単にお書き下さい。特選句二点、その他は一点として集計します。
※選ばれた句の中で一番印象に残った句の番号と感想をお書き下さい。 ◆またこれまでの二回で大賞に選ばれた方も候補者となります。 ※当日 出席・欠席 懇親会 出席・欠席(会費二千円) (確認の為にどちらかに○をおつけ下さい。)
◆投函締切 十一月十五日(火)期限厳守にてお願いします。 ◆句に誤りがあった場合は、電話・Fax等で至急海紅社までご連絡下さい。 電話・FAX 03ー3422―6962 ※当日ご欠席の方で投句料がまだの方は、左記郵便振替口座 00170―6―38652 海紅社宛 千円をご送金下さい。
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はじめに ( No.2 ) |
- 日時: 2013/03/22 20:41
- 名前: ゆ <yusoneda@yahoo.co.jp>
- 参照: http://soneda.or.tv
- ◆はじめに◆ 中塚 唯人
この会は、これまで全く横の繋がりのなかった閉鎖的な自由律界を、結社などの狭い枠を超え、自由律句の未来を自らの手で切り開こうと熱い心を持った人たちが作り上げた仲間の輪です。名前は「東京」とつきますが、これは会が東京で開かれるからであって、参加は全国に開かれています。 今回は「草原」そねだゆ氏のプロデュースで進行されました。皆さんからいただいた選句の結果により、平岡久美子さん(層雲・ぎんなん)が第十回東京自由律俳句会大賞に選出されました。大賞受賞者には賞金と記念品、次点二句にはささやかですが賞金をお贈りしました。 この会には賞金・商品等がありますが、決して賞取りや一部の人の選で大賞が決まるのでなく、作品を自由に創作すると同じように、年代も句歴も関係なく、参加者全員が自由に好きな作品を選ぶことが出来る会です。 今後とも自由律界の発展、さらに自由律句の向上には結社を超えた数多くの作品の提示が必要です。その中から自らの信ずる句を選び、そこで学んだことから、お互いに研鑽、切磋琢磨することに意義があります。 今後とも皆様のお力添えを宜しくお願い致します。
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第十回東京自由律俳句会詠草集 ( No.3 ) |
- 日時: 2013/03/22 20:44
- 名前: ゆ <yusoneda@yahoo.co.jp>
- 参照: http://soneda.or.tv
倚りかかる仮説がぐらり風の塔 坂部万千代 揚げ浸す瑠璃紺の秋舌鼓 松岡月紅舎 母のふくらみに眠る さはらこあめ 悲愴に鳴くコオロギ朝まで紡ぐ 原 鈴子 萩の白のあたりから秋の風来た 田中 耕司 熱燗で生まれた会話持ち帰る 萱沼 良行 日記を先走り明日のことまで書いてしまう 古城いつも 注射針が視つめているのは番外地 藤田 踏青 蜘蛛の糸一本下りてきて目があいうえお 原 鈴子 台風も一日遅れでやってくる町 本間 鴨芹 祖母がひとり通った道である秋彼岸 風呂山洋三 人は生まれるのを待たれ死を待たれる 堀 美子 釈迦は説かない黒猫は死に 粟野賢太郎 色の無い夢ばかりみる後部座席 藤田 踏青 獣らの骸あり紅葉 矢野 錆助 秋晴れに背を向けている喪の日 若木はるか 秋雲に見惚れよろり夫の手がある 上塚 功子 弱っとる猪のつぶらな目と合う 渋谷 知宏 指一本のピアノ2音たたいて星 富永 鳩山 思い出が消えてゆく空の雲 そねだゆ 山越えてきた放射能まだまだきのこに潜んでた 吉川 通子 左腿に男の鼓動 堀 美子 月へとどけ虫の声のツイッター 佐瀬 広隆 結界もたやすく越えてどんぐりころころ 黒瀬 文子 軽トラ満杯にして新月を去る 馬場古戸暢 旅に身もこころも染みて舞う落ち葉 松岡月虹舎 空回りの記憶の万華鏡 萱沼 良行 規則正しい機械のリズム メロディー口をつく ちばつゆこ 家を出て今日も約束がない 天坂 寝覚 永遠の存在可能性についてビールをあおる 馬場古戸暢 私はご免だ「島」に命かけるなぞ 吉田 東仙
わかりきったこと雀の喰いぶち残したコンバイン 森 命 ラブユー今はあり得ない遠く去った夏雲 渥美ゆかり ラジオ体操今日の始まり背筋しゃん 上塚 功子 ラーメンが食べたいんだあの娘の店覘く 湯原 幸三 夕暮れの鐘帰る燕に駅がない 森 命 ムッツリとしている夜のライトカー 中筋 祖啓 娘から貰ったスマホいじる女房がムスメでして 中塚 唯人 眉をひいたか秋明菊高さに咲いて 高橋登紀夫 また来るよクラクション軽く遠花火 宮地 祥子 ほろ苦甘く食べ秋夕日 佐瀬 広隆 ぽっかり白い雲青空を一緒に 中塚 銀太 君の眼の中で僕が笑ってる そねだゆ 細腕力むパークゴルフ場蓼の花 増渕 コク ホームレス自画像が破れていく 吉田 數江 飽和状態残り一滴の境界線 鬼頭 富子 「横断中」黄色い旗にとまるな赤トンボ 都丸ゆきお ペンを置くと秋がすとんと坐っていた 棚橋 麗未 二人がけのベンチ風を隣りに 原 さつき 種熟れぬヒマワリうつむいたまま 若木はるか 無骨な背中こちら向きに変えて夕焼け 吉原 陽子 ひんやりとしている夜の街灯だ 中筋 祖啓 ひとりで来た夜の自販機がまぶしい 天坂 寝覚 ひつじ田に風来て病めば甘える夫に寄りそう 熊谷 従子 ばばの日でしょ料理本片手に孫娘来る 岩谷 照子 母の小言は雨垂れと聞き流した青春 若山志津子 白磁の皿に焼秋刀魚こそ旬 小山 智庸 のうぜんはどこにでも友達落ちても声する 塩野谷西呂 熱帯夜アイスノンとひとり寝 斎藤 実 波の音秋の陽に身を干す 那須田康之 夏終り或終末感そっと 中塚 銀太 とまり木いつ立ち去ってもいい背中ばかり 吉原 陽子 ドブから鶏頭 渋谷 知宏 顔にチョコと魔法を掛け出勤 ちばつゆこ どこまでも秋晴れ曼珠沙華咲き狂う 矢野 錆助 通学児の声透る銀杏金の小粒 小山 君子 ちょっと低い暖簾に慣れ今日は天ぷらそば 湯原 幸三 大根が太るまつりの太鼓きいてから 鈴木 和枝 ターザンだった奴が黙って逝った 富永 鳩山 通り過ぎる大型セダンから鬼の仮面が覗いている 古城いつも 蝉が木から落ちるのをみてしまった 中塚 唯人 スマホに遊ばれ若者ぶって夜 宮地 祥子 ステップが狂う別れのラ・クンパルシータ 吉田 數江 酔芙蓉見過ごしていた別れ色 大西 節 水槽の金魚内村君の決めた宙返り 若山志津子 新米二人分足りるだけ炊く 増渕 コク 蚊一匹の襲来安眠の破戒 白松いちろう 十五夜ムーンとなっとく金賞地酒 小山 智庸 静かな蜩丸太のベンチ尻に温い 折原 義司 残暑埒もない世間話は避けて 小山 君子
赤土剥き出しになっていたよ墓のあったところ 風呂山洋三 このところトップニュースは冬眠近い熊のこと 吉川 通子 この涼しさ床にワックスを塗ろう 岩谷 照子 子の心読めずそっと電話置く夜長 鬼頭 富子 こおろぎ静かになる夜のかけそば 本間 鴨芹 高原を埋め青空を指す鶏頭花 折原 義司 紅蓮(ぐれん)のサルビアが行くロシアか中国か 塩野谷西呂 桐一葉背骨のスイッチバックせよ 坂部万千代 きっとあの星だ私だけに光る 南家歌也子 去りゆく群れの中を淋しく歩く 吉多 紀彦 風の僕ですあの日の迷子気付いてほしい 大西 節 (つづく)
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第十回東京自由律俳句会詠草集 ( No.4 ) |
- 日時: 2013/03/22 20:46
- 名前: ゆ <yusoneda@yahoo.co.jp>
- 参照: http://soneda.or.tv
- かげろう その向うに何がある 那須田康之
柿明り菊あかり道の駅に命ひしめく 熊谷 従子 壺へ入りきらぬ骨の埋もれ火 さはらこあめ 女の日傘がうらやましい、ぼくのかみ 斎藤 実 オニヤンマ・オスプレイのホバリング 黒瀬 文子 おいてけぼり喰わされた百日紅がいつまでも赤 田中 耕司 海に虹いで見えない虹 三好 利幸 医者にいく老父「酒はいいか」ばかりきいてくる 吉田 東仙 おわんに落ちた顔をゆっくりまぜる 平岡久美子 現し世の白い芙蓉は浄土からの朝 渥美ゆかり 秋気冷冷ポストに落した言葉 高橋登紀夫 秋が近道でくる水の匂いの仏たち 棚橋 麗未 秋が駆け足で来たと南部風鈴騒ぐ 都丸ゆきお 捨てられた父の湯呑みの水たまり 新山 賢治 我が足に尿(いばり)する女児お前に言う事がある 粟野賢太郎 昨日はごめんね言い過ぎましたねこじゃらし 平岡久美子 石もて起つに大空無言 三好 利幸 剥がれ落ちた鱗一枚の痛み 吉多 紀彦 カマキリが飛んだ訳はきかないでおこう 鈴木 和枝 薄日さして皆コスモスと笑い合う 白松いちろう ジリジリと浸食する平成の貧困 原 さつき 珈琲の香りにジャズをくわえてみせる 新山 賢治 逢えてよかったよきっとキミも 南家歌也子
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勉強会『萩原蘿月の感動律』 ( No.5 ) |
- 日時: 2013/03/22 20:48
- 名前: ゆ <yusoneda@yahoo.co.jp>
- 参照: http://soneda.or.tv
- 【第十回東京自由律俳句会】 中筋 祖啓
平成二十四年十一月二十五日(日)午後一時より東京自由律俳句会が開催されました。会場はこれまでどおりの芭蕉記念館一階で、机をロの字型に構成し、そねだゆ氏司会進行のもとに、会議が行われました。今回は、前回の会議にひき続き、棚橋麗未さんの「自由律俳句のルーツを探る 感動律とは」についての講座から、まずは火蓋を切りました。
その後は、事前にアンケートを採集して準備をしておいたシンポジウム「これからの自由律俳句を考える 若者の主張」についての会議が行われました。 今回の主題となる、この「若者の主張」におきましては、約二か月前から、現在、自由律俳句をやっている日本中の若者(50歳以下)に対して、様々な項目のアンケートを採集し、また、一か月前に、そのアンケートをもとにして、ネット上の掲示板で、こさまざまな意見の交換、ネット会議を行いました。 そうしてまとまった、若者の主張、自由律俳句に対する想いを、当日の会議で集まった、異なる世代の俳人の方々に提示をし、討論を行うというものです。 若者の主張をとりまとめ、年輩の方との意見をかわす代表としましては、現在、結社「草原」において、重要な役を任されている若手俳人、粟野賢太郎(21)氏が、見事その大任をつとめました。
その後、一旦、休憩をはさみまして、定例句会の結果発表会と上位句作家の表彰を行いました。また、その後は恒例の懇親会を開いて、お酒も入り、俳人の宴を心行くまで堪能することができました。 ほか、特記すべきこととしましては、古城いつもさん(一般俳句超結社・豆の木)が、会議の途中まででしたが、初参加をされました。
今回参加をした若手俳人は、粟野賢太郎氏と、中筋祖啓氏二名でしたが、すでに彼らが、日本中の若手俳人とある程度交流を深めていたこともあり、代表二名を通じて、現在、俳句に真剣に取り組んでいる日本の若者と、年輩の方々との交流が、極めて活発に行われました事を、ご報告させていただきます。 (つづく)
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『萩原蘿月の感動律』 続き ( No.6 ) |
- 日時: 2013/03/22 20:56
- 名前: ゆ <yusoneda@yahoo.co.jp>
- 参照: http://soneda.or.tv
- @感動律とは
棚橋麗未さん(白ゆり句会)講師のもと、「自由律俳句のルーツを探る 感動律とは」についての講座が行われました。
たくさんの資料を持参、配布のもと、感動律俳句の提唱者である萩原蘿月先生、内田南草先生の逸話から、感動律が何故に重要であるのか、また、その話に派生して、自由律俳句のルーツ、歴史についても勉強をすることができました。
荻原蘿月先生の俳論、そして、内田南草先生の愛娘、宮本より子さん記による、「感動律俳句会」についての自叙伝。ほか、様々なたくさんの資料が配布されたのですが、今回は、ページの配分の都合により、その概要をざっとですが、簡潔にまとめさせていただきます。
感動律俳句のルーツ 国文学者で芭蕉研究でも知られる荻原蘿月先生が大正の初期から唱えはじめた、感動律主義は、内田南草先生を通じて、「冬木」「梨の花」「感動律」といった、一列の同人によってずっと継承され続けてきました。感動律の主張は、一貫して貫かれ、平成十六年に「感動律俳句会」が閉会されるまで、その系統は引き続きましたが、主催者である内田南草先生の死去により、一旦、幕を閉じます。棚橋麗未さんは、その、内田南草先生の直弟子にあたる、という訳です。感動律主義は、荻原蘿月先生が大正二年に創刊した「冬木」をはじめとして、その精神は、内田南草先生主催の「梨の花」に引き継がれます。 「梨の花」は、敗戦後の昭和二十二年から句会がスタートし、当時は物質に乏しい時代でしたので、ワラ半紙に手書きで句会を行っていました。 後、昭和二十六年に、「感動律」と改題します。句会は、南草先生の自宅である、八畳の部屋で月に一度行われました。この時期から、現在、白ゆり句会で活躍している棚橋麗未さん、和田美代さん、白神美佐子さんなどが、加わることとなりました。 選句のあとに、相互批評となるのですが、批評の際には、お酒やおつまみも入り、酔うほどに本音が入り混じる、にぎやかな句会であったようです。 「梨の花」から「感動律」に改題した由来については、「梨の花では弱かったからだ」と、南草先生は言葉を残しております。 昭和二十六年のある日、「梨の花」をどう改題するかについての議論が交わされて、どなたかが「感動律!」と叫ぶと、「おお!それだ!」といっぺんに決定したとされています。当時の句会に活気のある様子が、伝わってくるエピソードですね。 以後、「感動律」は、昭和三十年代から昭和の終わりにかけて、全盛期を迎向え、様々な企画や特集が行われます。
その中で、北原景二さんという異色の俳人が出現され、波乱万丈の短い生涯を終えました。 北原景二さんは、かつてヤクザとして非行を重ね、独房に入れられていたのですが、その独房の中で、自由律句集に出会ったことによって、一大改心をし、途端に、模範囚となって刑期よりも早く出獄し、「感動律」に入会することとなりました。 その後、俳句を通じて知り合った女性と結婚し、おしどり夫婦となるのですが、奥さんがガンで病死された事を機に意気消沈し、奥さんの一周忌の日に、服毒自殺を遂げます。享年四十歳。 資料のプリントには、北原さんの写真も掲載されていますが、この方の人生にとって、俳句がいかなる存在、縁であったかを、想像せずにはいられないものでした。
後、平成に入ってからは、会員の高齢化により、次々と、要の人物が逝去せられることとなります。 後継者がいないという問題から、平成十六年に、内田南草先生がお亡くなりになったため、「感動律」は終刊となります。
・感動律主義とはいかなるものであったか? 続きまして、感動律俳句の提唱者である、荻原蘿月先生の俳論を簡潔にまとめてみたいと思います。 蘿月先生の教えによりますと、 「俳句は、現代生活の中で使われている口語で表現することが正しいという信念から出発。ものに感じて深く自分の情を表す感動主義、即ち、豊かな想像力と、鋭い感受性に基づいて築き上げた感動こそ、俳句の生命である」 と、唱えられ、棚橋麗未さんはその教えのもとに、俳句を学んだそうです。 実際に配布された、蘿月先生の俳句論文を読んでみますと、徹底した感動主義が、筋として一本通っており、 「写生という態度を捨てなければいけないと考えている」「態度がそもそも冷静で面白くない」 「科学者と詩人とは全くその立場を異とする」「詩人には理知もあり、判断もあるが、それは詩人の理知であり、判断であって、科学者の心理とは訳が違う。」 「単なる空想では迫力に乏しいと思う」「あらゆる感覚を投出して鑑賞すべきである。実際に経験した境地、そこから力強い詩が迸出するのである。」 「個人的に感情の流動がなければ駄目です。民族精神というような概念的な考えでは句はできません。」 「季題尊重などは無意味なことであります。」 と、竹を割ったような性格で、ズバズバと意見を主張していきます。
また、蘿月先生の俳論を読むことによって、子規、碧梧桐、虚子といった、過去の俳人同士の交流がいかなる様子で行われていたかを、垣間見ることができました。 「われわれの神経は深く物の奥底に突入するのである。『冬木』の方針はいつもかかる内的の傾向に進みつつあるのである。此の点が第一新傾向にあきたらぬ要点である」 「近頃の碧梧桐は詩の感激を持たぬようである。」 「俳句は感激が第一義で、感激に依って全生命は一点に集まるのである。」「『冬木』の熱心な同人には句の傾向上碧梧桐と一碧楼の好きな関係の者は一人だってありはしない。」 「当時の私は相当覇気もありました。」「或人からは山犬とまで罵られたこともあります。」「当時感激主義に共鳴する者はあまりありませんでした。」 「荻原井泉水も当時の俳論家の一人として飛躍して居りましたが、都会情緒の散文化した句風で、私共のあき足らぬ所でありました。」 「子規の偉業は月並排斥と新傾向の樹立であった。」「子規の月並匠個人に対する罵倒はあっても、月並派の方で敢えて其の矢面に立つ者が無かったためか、又はそうした攻撃に超然としている事が、芭蕉の遺風であったかは分からないが、とにかく何等の反撃も起こらなかった。」 「碧梧桐、彼は自己に忠実な人で、自己の芸術進展の上には既往の行がかりや情誼を捨てていった。」「此の歴史は碧梧桐の尊むべき所で、意志と実行力は買ってやらねばならない。」 「予は大正二年に『冬木』を出して、虚子とは絶縁した。」 とあり、その人間関係が極めて濃密で、決断のハッキリとしていた様子がうかがえます。
以上から、感動律のルーツを通じて、俳句界の歴史を勉強することができたが、最後に、蘿月先生の主張の中で、一番面白いと思った部分を抜粋させていただきます。 「ただ個人をかえりみなさい。」「若い純な空想に満ちた人々は、自己の生活の開拓を惜しみません。高く歌って、強く働いて死ぬ、たとえばエスキモーが氷の上で火をかこんで、踊り狂うて、氷が割れて、海の中に落ちる、それでよいではありませんか。」 感動律主義のエキスが、この一文にある。そう思った次第です。
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A若者の主張 ( No.7 ) |
- 日時: 2013/03/22 20:58
- 名前: ゆ <yusoneda@yahoo.co.jp>
- 参照: http://soneda.or.tv
続いては、事前にアンケートを採集して、ネット掲示板で討論を行っておいた、「これからの自由律俳句を考える 若者の主張」のシンポジウムとなります。 事前のアンケートで、「俳句始めたきっかけ」「自分の自由律観」「影響を受けた句」「自分の代表句」「自由律俳句に対して期待する将来像」などを、主な項目としてざっと採集して、掲示板上で述べ、名の若手俳人の参加により、さらに意見を煮詰めました。 今回縁あって集まった、若手俳人は、「層雲」「海紅」「草原」「鉄塊」のメンバーが主で、平均年齢は歳。 俳句を始めたきっかけは、インターネットや、出版物から、良い句や魅力的な俳人に偶然出会ったことが原因である事が大半です。 また、始めたきっかけに、俳句は、お金がかからない趣味なのでありがたい、という意見が、多数で一致しました。若手にとって、お金がかからないという事が、俳句の魅力的な要素のひとつになっています。 また、自由律俳句観の定義については、諸説もめまして、なかなか、ひとつの存在に「これこそが、自由律俳句の定義だ!」と確定することができませんでした。明確な定義がないことを不安に思う意見もあります。 影響を受けた俳人については、芭蕉、碧梧桐、山頭火などが人気がありました。 また、「鉄塊」の句会において登場しました、夭折の俳人、小林實さんの
・かなかなよ、おれはなんにもいらない気がする は、インパクトの強さから人気があり、この句は、多数の「鉄塊」所属の俳人が、気に入っている俳句に列挙することとなりました。 自由律俳句の今後の発展について期待することとしましては、もっと、自由律俳句をやっている人口を増やしたい、また、もっと、競争の場を活発にして、切磋琢磨したい。そのためにも、布教活動として、朗読CDの導入や、電子書籍を扱えたほうがよい、という意見がございました。 また、自由律俳句大賞を開催する場合において、誰が一体、選者をつとめることが適任であるか?その、選者を決定することが難しいという意見。 また、図書館に俳句結社の句集を贈呈したり、学校の授業に、もっと自由律俳句をとりあげるべき、という意見もでました。 また、「東京自由律俳句会」という名称が、何を行っている団体なのかわかりづらいため、「東京自由律俳句サミット」と改名すべきとの案もでました。 これらの案を、代表の粟野賢太郎氏が発表し、年配の方々には、意見の交換というよりも、終始聞き役に徹していただいて、「そうか、若者は今、そんな事を思っているのか」と、関心をなさっていただく運びとなりました。 そして、どのように今後、自由律俳句を運営、宣伝していくべきか?につきまして、各自が、 「うーん、どうしようか・・・?」 と、うなり続けましたところで時間が迫り、お開きとなりました。今回は、若者の主張を年配の方々に伝達するだけでも、かなりの効果があったように思います。
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B得点上位句から ( No.8 ) |
- 日時: 2013/03/22 20:59
- 名前: ゆ <yusoneda@yahoo.co.jp>
- 参照: http://soneda.or.tv
上位の五句とベストテン内の若者の句を取り上げ、選にとっていただいた方の評に対する作者の感想を聞いてみました。 大賞 おわんに落ちた顔をゆっくりまぜる 平岡久美子 特選を下さった、東仙さんとさはらさんにお礼を申し上げます。自句自解も苦手ですし、半年前の事できちんとお答えできるのか自信がありません。 この句はこうした情景はそれまでにも数かぎりなくあったと思いますが、そのときどうして句になったのか、多分にお椀に写った顔に、積み重なるものがあったと思います、さはらさんが指摘してくださったように、ゆっくりと消して行くというか、その特選を下さった、東仙さんとさはらさんにお礼を申し上げます。 自句自解も苦手ですし、半年前の事できちんとお答えできるのか自信がありません。 この句はこうした情景はそれまでにも数かぎりなくあったと思いますが、そのときどうして句になったのか、多分にお椀に写った顔に、積み重なるものがあったと思います、さはらさんが指摘してくださったように、ゆっくりと消して行くというか、そのような感情をリセットしたかったのではないかと思います。 二位 母のふくらみに眠る さはらこあめ この句は締切ぎりぎりに急いで作ったもので、深く考えずに作ったものです。自分でも意味が解らないままに投句しました。いただいた句評を読ませていただき、とても広く大きく解釈していただいて、大変感激いたしました。なるほど、と改めて自句を読み直しました。
三位 熱燗で生まれた会話持ち帰る 萱沼 良行 このようなお酒を題材とした句がどのように受け取られるのかと、多少の危惧と不安があったことは確かです。 それが、三名の方の特選をいただき、ありがたいことです。俳句会当日、その特選句評を読み、表面は平静。しかし、三名の方の暖かい言葉は、赤外線受信のように私の句にこめた気持ちと同調。そして、心の中はうるるん。 これからも、お酒の句はもちろんのこと、ゆるやかな余韻と余情のある句が、生まれればいいなあと思っています。
四位 ペンを置くと秋がすとんと坐っていた 棚橋 麗未 なんやかや、プレッシャーのかかった状態で机に向かっていた。そんな時、ふっとペンを置くと、季節の波動というか、風か、空気か、理屈ではない、目には見えない秋の気配が、直線的に感じられ、その底をじっと見疑めると、何故か人生の秋までも容赦なく坐っているようで、言うに言われぬものの憐れ≠感じたことである。
五位 珈琲の香りにジャズをくわえてみせる 新山 賢治 せわしくあわただしい毎日を送っています。 そんな時、無性に愛しくなるあのころの揺らぎのようなゆったりとした静かな時間の流れ。 ある休みの日、ゆっくりとコーヒー豆をひき、ステファングラッペリーの音色をのせてみたひとときの偽りのない気持ちを、共有していただき、うれしいです。 七位 軽トラ満杯にして新月を去る 馬場古戸暢 拙句への選では、軽トラへ積まれているものは農作物とみなされていました。そのような読みの方が、牧歌的な景が広がってむしろよいように感じました。しかし実景としては、軽トラを満杯にしていたのは家具だったのです。つまり、以下のようです。夜中にがたがたうるさいなと外に出てみると、隣室の初老のおじさんが、せっせと軽トラに荷物を運んでいました。私の方へ関心を向けることなく荷物を詰め終わると、さっそうと去って行ってしまいました。部屋へ戻り、暦を見ると、狙ったかのごとくその日は新月でした。それ以来、おじさんの姿を私は見ていません。そして彼の部屋の郵便受けには、チラシが溜まり続けています。
九位 家を出て今日も約束がない 天坂 寝覚 では早速、自解をとのことですが、皆さんの解釈は、概ね僕が意図した通りです。この句でいう「約束」は「社会との約束」という意味合いがありました。 で、約束というのは片一方だけではできないものですよね。 そういうわけで、この「約束」は、僕が社会に対してする約束の他に、社会が僕に対してする約束、というようなニュアンスを込めていました。 で、今日もそれがないわけです。
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「自由律句のひろば」の近況 ( No.9 ) |
- 日時: 2013/03/22 21:02
- 名前: ゆ <yusoneda@yahoo.co.jp>
- 参照: http://soneda.or.tv
- 「自由律句のひろば」の近況 白松いちろう
第一回自由律句ひろば全国大会報告 平成二十四年十月二十七日、山口県湯田温泉「常盤」にて開催されました。
【第一回総会】 出席者五十六名、委任状五十三名、合計一〇九名 議長 吉田 數江 実行委員長おがわひであき挨拶 代表富永鳩山挨拶 一、 平成二十三年度事業報告 イ、 ひろばNews発行 ロ、 「現代自由律一〇〇人句集」上梓、一〇〇〇部印刷 会員各二冊、二〇〇〇円の協力金 二五二 追加 二二二 一般注文 五五 寄贈 図書館 一一八 結社・教会 五七 文学館 十五 報道 四九 俳句甲子園 十八 合計 二五七 二、 平成二十四年度事業計画 イ、ひろばNews発行 ロ、役員改選 ハ、組織の見直し 総務・事業部→業務部へ、スリム化 ニ、全国大会:平成二十五年秋、名古屋にて (吉原陽子、吉田數江) 平成二十六年は東京での案 ホ、会員数拡大の為の方策等 宣伝強化、出版社との連携、若者の勧誘等 【第一回全国自由律句大会】 九七名(会員五六名、一般四一名、来賓数名山口・防府市長ら、教育委員会) 選者一四名、出句八二七句 一、表彰式: 大賞一名:小野 芳乃・山口 自転の一日を眠っている父の地球 準大賞五名。特別賞五名、入賞一〇名 二、講演 久光良一 「近木 圭之介と自由律の前途」 【交流会】 以上 ◎次回「第十一回自由律俳句会・フォーラム」は五月二十六日(日曜日)に江東区芭蕉記念館第一会議室にて午後一時から開催されます。 引き続き皆様の御参加心よりお持ちしております。
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