【自由律への提言―討論会】 2 ( No.6 ) |
- 日時: 2009/02/23 18:48
- 名前: ゆ <yusoneda@yahoo.co.jp>
- 参照: http://soneda.or.tv
- 【私の随句(自由律俳句)観】 草原 そねだ ゆ
1.自由律俳句は、「俳句革新運動」 井泉水や一碧楼は、遊戯化や宗匠俳句から俳句の文学化への運動をめざした。それは芭蕉が目指したものが貞門俳句からの革新というのと同じ文学運動だった。その意味で芭蕉の言語録『三冊子』は随句においても本質的に有意義と思っています。 自由律とは「律」が自由ということです。五・七・五以外の文字数による韻律も自由に認めて、季語の封建制からの開放と共に表現の巾を広げようということであり、文学性を無視した、放縦無節操でもかまわないという誤解とは異なると断言したい。 俳句の本質・真髄と随句(自由律)のそれとは同じものの筈です。
2.「俳句牲」と「詩性」 井泉水が言うように、自由律俳句には「俳句性」と「詩性」が必要だと思います。この点で、西洋詩から新体詩を経て今日に至る「自由詩」に欠ける「俳句性」を持った「自由律俳句」は自由詩と厳然と峻別すべきではないでしょうか。
3.「俳句性」とは? 茶道上田宗箇流十六代家元上田宗冏の言うように、「華道でも、西洋と比べるとできるだけそぎ落としたものを追求し、見えない部分を見てもらおうと、結局それは無限のものを感じてもらえる可能性があるから、とても感動してもらえる。できるだけそぐことに美の極致がある、無限の広がりがあると言うところが一番」、「日本人は。自分を一旦自己否定して次に進むとことがある。西洋人や若者には直接自己主張する傾向がある」「寄物沈思=自分の思いをものに託して表現する」ところが、俳句性だと思います。
4.「観念」や「主張」をそのまま表現すると 自己主張が強い人を普通の日本人は容易に受け入れるでしようか?ヘキヘキするのではないでしょうか。思いや主張をそのまま述べた句を見ることがありますが、「あなたはそう思うのね、で、それが何か?」と読み手は引く筈です。「俳句性」のある句では、読み手は自分の経験から湧き上がるイメージで、感動を自分の身に引き寄せることができて、詠み手が予期しない感動のイメージを広げることができます。 生の観念や自己主張をそのまま表現するとそれは西洋詩由来の「狭義の詩」になる筈で、それはそれで、一つの文学と思います。しかし、自由律俳句にそれを持ち込むと、もはや自由律(俳句)と称する意味はなくなる筈です。それで良いのでしょうか?
5.「添削・選句」なくして研鎖はない 会派によっては添削はせず、会費を払えば掲載されるところがあります。戦後教育の責任のない自由主義個人主義が安易に受け入れられた時代では、添削すれば辞めるなどと入会者が減るので、会の維持のために仕方がないのかもしれませんし、好きに作る趣味に過ぎないと割り切るところがあってもいいのではないでしようか。しかし井師の文学化の思いを考えれば、文学のために論議や作品の推敲があっても、これまたいいのではないでしょうか。 絵画や音楽など芸術は、基本を徹底的にやるのが当たり前なのですが、俳句でも自由律でも自分の句や作句態度を磨くようにすれば、もっといい作品ができるはずなのにもったいないと思っています。 「草原」のメンバーは、選句や添削がないのではやり甲斐がないと思っています。
6.「結社」の功罪、「年功序列」の功罪 結社の中では、どうしても作風の傾向が似てきて、結社類型が目に付きます。文学であれば、意見が違うのは当然で、それらが切磋琢磨する事がなければ、井の中の蛙とかショービズム(排他主義)の封建主義に陥ると思います。これでは自由律俳句はジリ貧になる筈です。 文学では、作品の質こそに意味があり、年功が意味を持つのは芸事俳句に他ならないと考えます。年季は技巧的には有用ですが、発想とか創造力では衰えるということは避けえようもなく、歳を取っても自己否定のできる方はそうはいないと思います。
7.自由律俳句の「名句の法則」 傀子師は、過去の自由律俳句の名句を分析して、以下のような法則を発表されています。 @3節からなる(何が、何で、どうしたみたいな転結) A感覚(五感で感じたままのひらめきを大切にする) 詩は頭で作るのではなく、心で作るもの。定型の森澄雄のように作意のない状態であれば、随句の境地と殆ど変わらないと思っています。 Bいい句は、数韻・音韻・意韻を持っている C漢語など外来語(抽象語)でなく和語(具体語)の句が心に残りやすい。 D自由律俳句は韻文であって散文ではない 私たちの頭は、言葉を伝達の手段として、説明して相手に伝わるように、一般化・散文化するように教育されています。ですから訓練して、心で感じたままをそのまま表現する韻文化の訓練が必要です。それが身につけぱ自然に感動が句になる筈です。
8.「眼差し」 人は何かに感動しますが、それは、人に備わった本来の基本的感動に加えて、その人の育った文化や時代の環境や、これまでの経験が積み重なったその人なりの人生観から、感動のポイントや深さが違ってきて、その人なりの観察点や観察の深みや目線ができます。それが作者の独自の眼差しだと思います。作者の人生が深ければ、あるいは作者のものを見る感性が鋭ければその眼差しはものの本質を抉って深くなり、普段我々が気が付かなかった、世界や人類の深い理を表現でき、その作品のイメージはそれを観て感じるものの心の底や魂にまで突き刺さるのだと思います。ものを表面で見ては普通の作品しかできない筈です。深く観て感じる習慣(修養)を身に付け、その眼差しを素直に表現できれぱと思います。 そうすれば個性的でありながら、多くの人から、「アツ、そうだよな」と感動を増幅させる句を作れるようになると考えられます。 天才は百年に一度現れると言いますが、五十年前に既に放哉や山頭火がいますから、私たちの殆どは天才とはいえない筈です。だから何事も意識的に精進しない限り、単なる思いつきで捻り出した作品が時間の腐食に耐えて残る文学となるとは思えないのですが。
9.「これからの」自由律俳句はどうあるといいのか。 @純粋な「自由律俳句」と「自由詩」は別に扱う。別立てとする。 A文学を目指す欄と趣味で良いという欄とを別扱いとし、切磋琢磨や論議自由を入れる。 Bネットで添削、発表、互選あるいは選句するHPの設置。機関誌はダウンロードする。 ハードを望む人は会費制。 C統一会派で、ネットコンクールなど、無料の登録会員制による(談合や結託を排した)互選投票制度。各会派をリンクで結ぶ。 D自由律俳句の○○賞の選句委員に俳句の作家や自由律俳句を理解していない評論家などを使わないようにする純粋性を大切にしてほしいのですが。 以上
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【自由律への提言―討論会】 3 ( No.7 ) |
- 日時: 2009/02/23 18:49
- 名前: ゆ <yusoneda@yahoo.co.jp>
- 参照: http://soneda.or.tv
- 【自由律への提言】 桃の会 内藤 邦生
T.東京自由律俳句会の広報誌を作ろう 基本的なこと(会の名称、連絡事務所) 1.各回の俳句会の報告 2.先達に学ぼう 3.毎月の一句選 4.結社、句会の公募賞の紹介 5.インターネットの利用 6.その他
U.『俳句日本』は作れますか?
V.自由律俳句協会は出来ますか?
W.その他 俳句に対する基本的な態度(個人) 人生の一片→人生の足跡→積み重ねが人生
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【自由律への提言―討論会】 4の上 ( No.8 ) |
- 日時: 2009/02/23 18:53
- 名前: ゆ <yusoneda@yahoo.co.jp>
- 参照: http://soneda.or.tv
- 【自由律独立論】 海紅 中塚 唯人
短詩型文学とは 1.俳句 俳句の原点 連歌‥五・七・五・七・七 発句‥五・七・五の部分の独立 発句の条件‥@五・七・五の十七音 A季語(三十六歌仙とか十八歌仙など連続して作るには共通のテーマとし、いつ作られたかの季が必要。) B一句としての完結 ・定型俳句=発句 ・自由律 =上記三条件を満たしていないので俳句とは言えない。→俳句とは違うジャンル→独立論 2.川柳 3.短詩・一行詩・自由詩等
U.独立への手掛かりの歴史的経緯 1.明治四十四年六月―中塚一碧楼『試作』創刊 この年、俳壇に復帰した高浜虚子のホトトギス発行所へ、『試作』発刊の際の第一の盟友であった細木原青起が、創刊一号を携え訪問。これは青起本人が日本俳句へ投句する以前に少しの間ホトトギスに投句したことがあるのが縁で、虚子にも二三回会ったことがあったのと、青起は当時の新進挿絵絵画でもあり近々掲載される虚子の小説「朝鮮」の挿絵を担当する為に訪問し、そこで忌憚のない評を乞うた。 すると虚子は、 「この傾向は却々面白い、大いにやり給え、しかし俳句という名を冠するのはどうかと思う。ただ詩として好いと思う」 と答えた。その時の一碧楼の句、 八百庄は酔ひ死にし葉柳垂れて 盛装し来て墓所の朝雲暑し 娼が厚き唇や昼蚊の出づる 髪臭ふ暑き夜や蟹など食ひつ 白痴女も道に見し、池の色暑し これらは、まだ自由律とは言えず、五・七・五の変形、いわゆる新傾向句であった。 2.大正元年十一月 ―一碧楼『第一作』創刊 一碧楼等が『第一作』を創刊した直後の大正元年十一月に、遠藤古原草と山口葉吉・羅工の三人で佐久間町の虚子のもとを再び訪問。 その目的は「出来うれば『ホトトギス』誌上に『第一作』作品を掲載、四方の同好を求めようと考えた」と、その時のことを古原草は『俳句入門』(海紅大正十一年一月号)の中で述べている。 訪問の席上、昼食を共にした後、虚子は 「もしも諸君の句を短詩として載せる事をゆるすなれば『ホトトギス』はこの道のために一臂の労をかそう」 と言った。しかしこれに対し当時の『第一作』同人たちは、俳句として掲載されることを強く望んでいたため不幸にしてこの事はその望みを断たれてしまった‥‥と記している。 その時の一碧楼句、 鏡に映つたわたしがそのまゝ来た菊見 泣いてそれから秋の夜のハナアラレ これらの句は、口語で書かれ完全に自由律作品であった。
3.昭和四十年―荻原井泉水(『層雲』代表)日本芸術院の会員に選出 この時自由律陣営は、「これで俳句の仲間として認められた」と喜ぶだけで自由律のジャンルとしての確立に動こうとしなかった。 その結果が今日まで延々と続き、自由律が衰退した一因となっている。
V.俳句からの独立 今後も定型人は自由律を俳句として認めないであろう。それを認めたら自分たちのこれまでやってきたことが根底が崩れるからだ。自由律人もそのことを十二分に承知の上で、俳句として認めてもらおうと懇願するのは無理難題というもの。ここらで俳句と言う名は定型に譲り、堂々と「自由律」の名を高めようではないか。 これは定型俳句を敵対視するのではなく、むしろその良さを認めることでもあり、その上で自由律の存在価値をアピールしようとするものだ。 世間的には「自由律俳句」でもいいが、自由律界では「俳句」を取り「自由律句」と呼びたい。
W.方法論 1.各人が「自由律」の伝道師となる「自由律」という言葉の露出 ・例えば今、「ご趣味は?」と聞かれた場合、「俳句です」と答える人はあっても「自由律」と即座に返答する人はまずいない。その理由は多々あるとしても「自由律」と堂々と答えよう。 ・「自由律」と入った個人名刺の作成し配る。 (つづく)
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【自由律への提言―討論会】 4の下 ( No.9 ) |
- 日時: 2009/02/23 18:54
- 名前: ゆ <yusoneda@yahoo.co.jp>
- 参照: http://soneda.or.tv
- 2.自由律は革新の心を忘れるな
守破離の「離」 @俳句に於ける守破離 「守」(芭蕉)=受け継がれた伝統を守る 正岡子規 「破」 =従来の方法に疑問を持つ 高浜虚子 →「守」へ戻る 河東碧梧桐 →革新へ 「離」 =時代に即し、新しく独自の工夫を加え、そして今までの型を変える。 中塚一碧楼(自由律) 荻原井泉水 〃 大須賀乙字(古俳句) A自由律の守破離 「守」=「一碧楼」「井泉水」 「破」 「離」=山頭火・放哉 ・現在の守破離 自由律を志す人間を10人と考え、守を信じる人が6人とすれば4人は「破」=疑問を持っていると思われる。その結果、「破」の内の2人は「守」に戻り2人が「離」へと進む。そして「離」の二人の1人は再び「守」へ回帰し、「離」には1人が残る。これが健全な姿であるが、「守」へ戻った9人が離の1人を伝統を破壊する者として攻撃・排除に向かう、これが現在の図式ではないか。これは何に起因するかというと、これまで培ってきた自分の俳句観が否定され破壊される事と、その結果自己の築き上げた権威が保てなくなる恐れによるもの。これは自身の作品に自信がないことにほかならない。これでは自由律と謳いながら不自由律を強要するものではないか。 もちろん個々により年令・環境・境遇・俳句観等に相違があるのは致し方ないことで、9人の守は1人の「離」を排除するのではなく1人を認めることが大事なのです。その逆も真。9人があっての1人であり、9人がいるからこそ1人の存在価値が生まれるのである。そこでお互いの主張を信じながら作品で勝負する、これからの自由律はそうありたいと思う。そしてそれは個人の中でも同様に葛藤されるものでもある。己自身の中の常なる革新、これも忘れてはいけない。
3.「自由律」に自由とおおらかさを取り戻そう。 @自由律の定型化の阻止 ●総てに於いて自由律の生まれ出た時の自由とおおらかさを。 十七文字でないだけで定型と変わらない作品から、大いに自由律らしい「自由とおおらかさ」を持った作品を作ろう。 ●自信を持った自由律作品 一碧楼は「自信ある作品には選は必要なし」と訴えた。これは選と添削が不必要と結論づけているのではなく、作品として発表するには充分な自選が必要で、言い換えればそれだけ自信のある作品を作れと言うことだ。そしてそれが出来得れば他人の評など気にする必要はなく、それを身に付けるためには句会等で自己研鑽する場を求め、他人の言にも耳を貸そうと言っているのに他ならない。 A何人からも作句の意欲を奪うな、 誰しもが個人個人の「自由律観」を持っている。私は保守、革新いずれの一方に与するものでもない。色々な自由律があって、各々が火花を散らしぶつかり合い切磋琢磨する、そんな土壌を作りたいと思う。自己主張を他人に押しつけ他人からその楽しみを奪うのでなく、それを互に尊重し合い、己の自由律を楽しむ、それが永く続ける秘訣でもあり自由律人を増やす要素であると言うことをもう一度認識したい。
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【各句会の紹介】 上 ( No.10 ) |
- 日時: 2009/02/23 19:08
- 名前: ゆ <yusoneda@yahoo.co.jp>
- 参照: http://soneda.or.tv
- 1.名称:阿良野
設立(創刊)時期:昭和47年(始祖雪腸の曠野社は大正14年) 主宰:渥美ゆかり 師系:永井治雄(始祖は加藤雪腸) 現在のおおよその会員数:八名 会員の男女比:女性十割 会員の平均年齢:70歳 所在地 〒431-1112 静岡県浜松市西区大人見町12ー360 渥美ゆかり 電話・FAX番号 053―485―4507 会費 年間六千円(年二回に分けて集金) 入会方法 随時 主に参加されている団体 「海 紅」
2.句会のモットー。 和の心 明るい句会 人の意見も聞ける素直な心 思いやり 努力
3.活動内容。 定例句会は主として月の第二木曜日。会場は主として浜松文芸館。 刊行物は年一回、「阿良野句集」を刊行。(自選19句。現在は人手不足のため、二年に一回自選39句)
4.指導方針。 感動を第一に、次にテクニック。 解りやすい句をモットーに、その奥の詩情の広がりを大切に。 個性を大切に。
1.名称:稲穂吟社
設立(創刊)時期:昭和21年 主宰:合同句会で主催者無し 代表 三浦桂芽 師系:中塚一碧楼・渡辺碧山楼 現在のおおよその会員数:七名 会員の男女比:男性九割女性一割 会員の平均年齢:72歳 所在地 〒432-1112 事務局:秋田県外旭川字南沢70 佐藤良三郎方 電話・FAX番号 018―868―4957 会費 月五〇〇円 入会方法 自由 主に参加されている団体:「海 紅」「青い地球」 「秋田県俳句懇話会」
2.句会のモットー。 作者個人の意思を尊重すること
3.活動内容。 毎月第三火曜日、外旭川コミセンにて 俳誌、刊行物なし
4.指導方針。 個人プレーなので特に指導はしない。 「て、に、を、は」など注意し合っている。
1.名称:海紅社句会
設立(創刊)時期:昭和17年(東京都世田谷区駒沢に一碧楼が居を構える) 代表:中塚 唯人 師系:中塚一碧楼 現在のおおよその会員数:十名 会員の男女比:男性五割、女性五割 会員の平均年齢:57歳 所在地 〒154ー0012 東京都世田谷区駒沢2―28―14 中塚唯人 電話・FAX番号 03―3422―6962 海紅ホームページ http://www.kaikoh.com 会費 月五百円 入会方法 随 時 主に参加されている団体 「海 紅」
2.句会のモットー。 大正四年河東碧梧桐により、当時の最革新俳句作家の中塚一碧楼を編集責任者として創刊された『海紅』の、全国十一社の内の東京句会。 年令、経験、会費等による一切の序列はなく、俳句においては何人もお互いの自由を尊重する。 句会に於いては誰もが自由に自分の意見を堂々と述べ、納得するまでとことん話しあう。 作品に於いては横並びになることなく、個性の煌めきを重んじる。
3.活動内容。 毎月第四日曜日、上馬地区会館・弦巻区民センターなど、田園都市線駒沢大学駅周辺にて定例句会開催。吟行・提携句会も積極的に行い、十二月は「一碧楼忌やみ汁句会」で締め括る。
4.指導方針。 半教半学の精神。年長者は若者から、若者は年長者から、初心者は経験者から、経験者は初心者から、すべてが常に学ぶ精神を忘れずに切磋琢磨する。
1.名称:かみなり俳句社
設立(創刊)時期:昭和8年 主宰:小山 智庸 師系:荻原井泉水―中塚一碧楼 現在のおおよその会員数:十名 会員の男女比:男性四割、女性六割 会員の平均年齢:六十五歳 所在地 栃木県さくら市氏家1175―42 小山 智庸 電話番号 028―682―4694 FAX番号 028―681―0228 会費 月千円 入会方法 随時 主に参加されている団体 「海 紅」
2.句会のモットー。 先ず、パッション・アクション・ビジョンをベース に、現場に立ち会って暮らしている現代を、現代の ことばで詩う。読み手から読み手に伝わる作品づくりを目指す。 3.活動内容。 毎月一〜二回定例句会を催し、吟行など行い、地方の結社との交流会を通じて、より広い視野に立って の二次元、三次元の分野を詠みたい。
4.指導方針。 奇を衒い、ことば遊びや、やたら技巧を振り回すことなく、新奇を狙わず、未来指向の新しい風の精神文化を詩う方向を目指したい。
1.名称:北九州句会
設立(創刊)時期:昭和30年10月 主宰:一人一人が主催 師系:吉岡禅寺洞―小川素光 現在のおおよその会員数:十六名 会員の男女比:男性六名、女性十名 会員の平均年齢:?歳 所在地 福岡県遠賀郡水巻町 重富 架光 電話・FAX番号 093―201―2906 会費 その都度大体千円(昼食付) 入会方法 特に定めなし(同人は全員の推薦) 主に参加されている団体 「新墾」・「あまのがわ」・「層雲」・「層雲自由律」・「主流」など。
2.句会のモットー。 @指導者なし A総てが自由討論 B作者の意図、作意、心境を重視 C作者や批評者が納得の上、訂正。 D決定的・添削などなし。 E持ち寄り+即題句会を併用 F問題句は次会で再討議 G運営・作品に関する限り何事も遠慮しない。 H新墾及び各句会(四カ所)共、教師・医師以外は先生呼ばわりしない。しても返事をしない。 I個人尊重第一主義
3.活動内容。 第三日曜日でわが家を中心に公民館・公共諸施設・お寺やお宮各自宅の持ち回り。各自作品と他誌作品の同類句の比較検討。毎月交互に室内外の句会、吟行を実施中。その他思いつき開催。
4.指導方針。 @とにもかくにも自分詩を押し進める。 A他人の意見はあくまで参考。 B素直に聞いて素直にすてる。 C作品に同調はない。 Dあくまでも口語・自由律を通す。 (つづく)
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【各句会の紹介】 中 ( No.11 ) |
- 日時: 2009/02/23 19:10
- 名前: ゆ <yusoneda@yahoo.co.jp>
- 参照: http://soneda.or.tv
- 1.名称:ぎんなん
設立(創刊)時期: 平成八年 代表:萱沼、池田、吉多、斎藤、平岡、佐瀬 師系:荻原井泉水 現在のおおよその会員数: 三十四名 会員の男女比:男性四割、女性六割 会員の平均年齢: 五十五 歳 所在地 千葉市稲毛区長沼原町942―233 電話・FAX番号 043―250―0602 会費 年二千円 入会方法 電話、FAX、電子メール 主に参加されている団体 「層 雲」
2.貴句会のモットーなど。 自由で、分け隔てのない、自由律俳句句作の研鑽の場です。
3.活動内容。 定例句会 二、四、六、八、十、十二月第二週の土曜日十時より港区生涯学習センター(新橋駅烏森口より徒歩三分) 俳誌 隔月(一、三、五、七、九、十一月)発行 新年句会一泊二月、納涼句会一泊八月、観桜句会三月末
4.指導方針。 指導は、価値観の押しつけになりがち、この会では、皆同じ地平に立ち自由に意見を述べ合います。 老いも若きも、地位のある人も無い人も。そうした研鑽の中から自らが判断し選択して自分の俳句観を見つけてゆきます。そうした意味で指導方針は特にありません。
1.名称:自由律俳句クラブ群妙
設立(創刊)時期:平成十九年 主宰:富永鳩山 師系:な し 現在のおおよその会員数:百名 会員の男女比:男性六割、女性四割 会員の平均年齢:六十歳 所在地 山口県防府市東三田尻1―5―29 富永 鳩山 電話・FAX番号 0835―23―2399 群妙ホームページ http://www.gunmyo.net/ 会費 年会費 一万円 入会方法 自由 主に参加されている団体 特になし
2.句会のモットー。 自由律俳句を多くの人々に理解していただく運動体。
3.活動内容について教えてください。 俳誌「自由律クラブ群妙」を母体として、防府市立図書館での講座、FMラジオやNHK山口テレビ番組「自由律俳句らぶ」、その他講演を通して、自由律の短詩型文学としての理解を深めている。
4.指導方針について教えてください。 優れた自由律の紹介、解説につとめ、特に初心者の句を大切にして共に考える。興味を持っていただくことが基本。永年自由律は俳句でないと、 山頭火の生誕地で蔑視されて来たことが逆の力となりました。
1.名称:しらさぎ句会
設立(創刊)時期:昭和五十四年 主宰:都丸ゆきお 師系:中塚一碧楼・仲野利三郎 現在のおおよその会員数:六名 会員の男女比:男性5割、女性5割 会員の平均年齢:六十五歳 所在地 東京都練馬区大泉町6―10―6 都丸ゆきお 電話番号 03―3924―9238 会費 月五百円 入会方法 随 時 主に参加されている団体 「海 紅」
2.句会の指導方針、モットー。 明るく楽しく、それぞれの作品を尊重すること上下の隔てなく自己を高め合う。
3.活動内容。 毎月第三日曜日、中野白鷺高齢者会館
4.指導方針。とくになし。
1.名称:白ゆり句会
設立(創刊)時期: 平成十七年一月 代表:棚橋 麗未 師系:内田南草 現在のおおよその会員数:20名 会員の男女比:男性三割、女性七割 会員の平均年齢:七十歳 所在地 東京都新宿区高田馬場4―40―13―704 棚橋 麗未 電話・FAX番号 03―3361―1868 会費 千円 入会方法 随時 主に参加されている団体 「旧感動律同人」・「青い地球」、「眉同人」他 2.句会のモットー。 内田南草先生の「感動律」終刊後に、旧感動律同 人有志で同好句会をスタートしたものです。俳句 形式にとらわれず、感動を平明な言葉で表現する和やかな会です。
3.活動内容。 毎月第二日曜日午後1時より、高田馬場駅前稲門ビル中二階「ロマン」喫茶店。参加費 千円。作品3句を第一日曜日まで棚橋宛ご送付下さい。(清記の都合)。なお当日一句をご用意下さい。
4.指導方針。 別になし。
(つづく)
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【各句会の紹介】 下 ( No.12 ) |
- 日時: 2009/02/23 19:13
- 名前: ゆ <yusoneda@yahoo.co.jp>
- 参照: http://soneda.or.tv
- 1.名称:草 原
設立(創刊):平成十三年一月前身はさがみの会) 主宰:随句社 北田 傀子 師系:層雲 荻原井泉水 現在のおおよその会員数:二十五名 会員の男女比:男性四割、女性六割 会員の平均年齢: ? 歳 所在地 神奈川県座間市座間2―21―12 電話・FAX番号 046―251―0682 会費 五百円 入会方法 メール申し込みなど 主に参加されている団体 特になし
2.句会のモットー。 荻原井泉水が確立した自由律俳句の原則―「詩性」と「俳句性」を兼ね備えたもの、それは、種田山頭火・尾崎放哉などの句を形作る原則を目指す。 普通の人の心に響く日常語でなり、ものをもって想いを述べる点で、観念の直接表現や言葉遊びなどを排して、西洋詩から流れてきた一行詩や現代川柳と一線を画し、句の内容を重んじる点で、趣味に堕ち形式に流れる定型俳句などからの俳句改革文芸運動をもって真っ当な自由律を提唱した井泉水や一碧楼の精神を継承する。
3.活動内容。 イ、定例随句会開催日:毎月第四土曜日、神奈川県秦野周辺会場、俳誌「草原」 ロ、定例随句教室開催日:毎月第二土曜日、横浜松坂屋(現在は桜木町ぴおシティ)
4.指導方針。 イ、詩は頭で作らない、感動にひらめいた想いを素直に表現する。 ロ、ものをもって想いを述べる。観念を直接表現するのは西洋詩であって、日本文芸のよさをもつ自由律俳句(随句)ではない。 ハ、言葉遊びは文芸ではない、自己表現の大いなる遊びを目指す。 ニ、顕信・放哉・山頭火などの優れた作品の原則を学べば、誰でも人に見せられる句ができます。
1.名称:花野句会
設立(創刊)時期:昭和五十五年 代表:世話人、加藤邪呑 師系:三浦石雨 (『層雲』同人) 現在のおおよその会員数:八名前後 会員の男女比:男性五割、女性五割 会員の平均年齢:50歳 所在地 981―3102 仙台市泉区向陽台44―33―23 電話・FAX番号 022―372―6356 会費 年会費 六千円 入会方法 来る者は拒まず(随時) 主に参加されている団体 「層 雲」
2.句会のモットー。 各自思うがまま自由自在に。定型であれ自由律であれ、その他何でも可。 3.活動内容。 ・毎月一回第二土曜日、宮城県婦人会館で句会。たまに県内、県外(夏)吟行句会。 ・毎月句会報『花野会報』発行。 ・二年毎に『花野』刊行。平成二十一年四月頃には第十二集発行予定。
4.指導方針。 ・基本的には各人の思うがままの方向へ邁進して、己しかない俳句を目指す。 ・世話人・加藤邪呑の方向 「言葉」の意味を利用しながらも、それをあたかも「絵具」のように操った重層的な「イメージの世界:」、「解る」「解らない」の世界ではなくして、「抽象絵画」のように、「感じる」「感じない」の世界のような俳句を目指している。
1.名称:桃の会
設立(創刊)時期:平成十三年四月設立、 「もも」創刊 代表:内藤 邦生 師系:荻原井泉水・渡野辺朴愁 現在のおおよその会員数:十七人 会員の男女比:男性四割、女性六割 会員の平均年齢:60歳 所在地 〒424―0912 静岡県静岡市清水区殿沢1―8―9 内藤 邦生 電話・FAX番号 054―335―5347 会費 年額 二千五百円 入会方法 随時 主に参加されている団体 「層 雲」
2.句会のモットー。 ○自由律俳句の基本を理解した上で自由に詠む。 ・「自由律俳句への手引き」渡野辺朴愁編(54P)を配布。 ・入会一年目は個人的に指導する。 ・これ以降は希望が在れば指導するがそれ以外はしない。
3.活動内容。 ・誌上句会誌「もも」発行(毎月一日発行、)A4、10P、現在85号)当月五句出句、毎月十句互選。 ・年間句集の発行(現在第七句集、一人十八句自選) ・句集発行記念句会(年一回)
4.指導方針。 ・自由律俳句を理解し自由に詠む。 ・他人の句を通じて学ぶ。 ・添削はしない。
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【東京自由律俳句会を終えて】 ( No.13 ) |
- 日時: 2009/02/23 19:15
- 名前: ゆ <yusoneda@yahoo.co.jp>
- 参照: http://soneda.or.tv
- 【東京自由律俳句会を終えて】 かみなり社 小山智庸
平成二十年十一月二十三日東京芭蕉会館にて、「第二回東京自由律俳句会」が催され出席した。パネラーの自由律俳句界に対しての熱い思いの提言に感動した。海紅の中塚唯人氏は守・破・離の「離」の今の時代に、変革する自由律の伝道師となれとの思いを実行した集いが、今回の「自由律への提言」の句会であろう。まず私たちは作家であり、作家としての作品は百年後に残る作品作りに取り組まなければならない。それには、机上の設計図より、現場に行き、よく見て、声を聞き、雰囲気を嗅ぎ、本物に触れる、五感の体験が基本であり、現場主義が私の持論です。本道の文学を目指す俳句の外にカルチュア遊びの俳句や、点取り争いの派閥俳句界があり、私も過去に経験したが、定型句界のごり押しがまかり通るのには驚いた。 パネラーの意見の通り、お遊び俳句と文学を目指す俳句は分けるべきでしょう。しかし革新を唱えて、細々と狭い裏道を歩く姿はいただけない。数の集団が正とは頷けないが、これからどう方向付けをするかが課題となるだろう。指導者は原石(個性)を磨く役目であり、同人たちも自分の信じた道を極めるために戦い、外へ向かって行動しよう。結果はその後から着いてくると信じる。 勉強会の中心になる作品発表の場として、メディアが欲しいと思う。今回の集まりは時間の制限もあり、少々不完全燃焼のところは何回も数を重ねることですね。
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第三回『東京自由律俳句会』お知らせ ( No.14 ) |
- 日時: 2009/02/23 19:18
- 名前: ゆ <yusoneda@yahoo.co.jp>
- 参照: http://soneda.or.tv
- 第三回『東京自由律俳句会』お知らせ
前年に引き続き「東京自由律俳句会」を下記要領で開催します。今回は句会を中心に進めます。回を重ねる毎に何かが見えてきます。そして反省も見え、これからの進むべき方向も見えてきます。何よりも継続が命です。今後とも少しでもこの輪を拡げて行きましょう。そしていつの日かこの会が全国規模に拡がれば、その時こそ自由律は甦ります。ご出席を何卒よろしくお願い致します。
1.日時 平成21年5月17日(日)午後1時より5時まで 2.会場 江東区芭蕉記念館 1階会議室 住所:〒135-0006 東京都江東区常盤1−6−3 電話:03−3631−1448 ■地下鉄 都営新宿線・都営大江戸線森下駅A1出口より徒歩7分 東京メトロ営団半蔵門線 清澄白河駅 清澄通り改札口下車A1出口より徒歩10分 3.参加費 1,000円(資料代含む出句のみも可です) 4.出句料 1,000円―2句1組で未発表のもの ※出句のみの方は1.000円を郵便振替口座00170-6-38652 海紅社 宛ご送金下さい。後日選句ハガキと選句結果をお送りします。 ※当日参加される方は合計2.000円(出句無しで参加だけの方は 1.000円)を会場でお受け致します。 5,応募要領 官製葉書に下記をご記入下さい。 (FAX・メールでも可。tadato8008@nifty.comアドレスへ)
※懇親会は会の終了後、引き続き同所で行います。(費用2.000円)
6,連絡先 〒154-0012 東京都世田谷区駒沢2−28−14 「海紅社」中塚唯人宛 電話・Fax:03-3422-6962 7,締切 平成21年4月15日(期限厳守でお願いします。) 幹事 海紅社 中塚唯人 (海紅ホームページhttp://www.kaikoh.com)
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ゆの見た「懇親会の感想」 ( No.15 ) |
- 日時: 2009/02/23 19:21
- 名前: ゆ <yusoneda@yahoo.co.jp>
- 参照: http://soneda.or.tv
- 第2回東京自由律俳句会懇親会
句会が一通りのスケジュールを終えて、いよいよ最後の懇親会となりました。 操子さんと私は最初の受付で参加表明を保留していたのですが、操子さんが小山さんと話をしたいというので急遽懇親会をお願いしましたが、これがもう弁当の手配をされた後で、幹事の方にご迷惑をおかけしてしまいました。幹事の方の折詰を横取りしたことになり、平岡さんたちは遠くのコンビニでお弁当を手当てする事になりました。大変に申し訳ありませんでした。
前回は鰻屋のみや古で畳の机を幾つか囲んでの会でしたが、今回は芭蕉記念館の句会のあとの部屋の会議用の机を一つの大きな横長に並び替えて宴会場とし、皆机の周りに腰かけて始まりました。 まず今回の主宰の「ぎんなん」の吉多紀彦さんがご挨拶され、皆さん周りと話しながらのものとなりました。 私は、なんとなく端っこと思っていたのですが、ぎんなんの吉多さんと群妙の白松さんの間に入れていただき、また、前には坐られた海紅の湯原さんや田中さんとお話ができて、とても有意義でした。田中さんは本当に熱心で、海紅しらさぎの安門さんと投句の清書を見ながらお話をされています。真と頭が下がります。
湯原さんとは、添削が個性や成長に与える影響などの話をしましたが、層雲系は当初から先輩や先生から熱心な添削が伝統で、一方の海紅は一碧楼が碧梧桐の添削というか改造を嫌ったという伝統があります。草原は層雲系ですが、傀師は殆ど添削はされず、随句の基調の原則に基づいての指導に熱心でした。私も作り直すことはしません。随句の基調に沿って相手の段階に応じたアドバイスをするようにしています。私が最後に強調しましたのは、指導は作家の成長に大切で、指導のよしあしで伸びもすればだめにもなるということと、その指導で個性や才能がつぶれるのであれば、元々大した才能や個性はないのだと思っているということです。短詩の場合、桑原武二のいう第2芸術論で示すように、たまたまそれらしい句ができてもそれは実力ではないと考えています。人生や物を観すえて己の考えを深め、眼差しを磨くことでしか句はよくならないはずです。実際基本ができていれば短い期間に成長する例もありますが、元々いいものを持っていた作家が指導者によってつまらない句しかできなくなるのを良く見るのです。
気が付いてかみなり社の小山さんと話させていただきましたが、この机の形ですと、いろんな人と話しにくいという声がありました。難しいものです。 また五月の第3回にはもっといろんな方とお話ができるとうれしいです。
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